1970
初めて車がうちに来た。
中古のホンダN360
6ヶ月目でドライブシャフトが抜けおちた。ナンダーコラヨォー すぐ いやになってVW?! 当時敬遠されがちな外車、以前から憧れてたVWの中古に、よろこんで交換。ホント ホレボレ
       vw1963年/八郎潟

路上駐車、3年、機関の故障は一回もなく、でもあちこちに腐れが目立ちはじめたのだ。
車屋さん(整備と板金塗装の別を知らなかった)から外車はけむたがられる、
 直したいの思いでムボウにも自宅前のやっと車1台分ほどの寸地で雨曝しのままろくな工具もないのにバラシ始めて、、ついには床のボルトを全部ひっこ抜いてシャーシとボデーを分離させちまった。

いろんな仕掛けを発見できて結構たのしんだものの それからこのvwは二度と走ることはなかった。そのままユニックに釣られスクラップ、いまだったらやれたかも?
かくしてこの辺りからホンカクテキニ
くるまジゴクに引き込まれていったのレスよ。

でも
すみません、日本車の名前をいわれても本気でわからないのです。

mini小屋/床は木 床暖房、ミニを釣り上げるウィンチの他 結構な工具が揃ってしまう、ショーバイできそう、小さいショーウインドー、プラモを飾ってみたりして、、そんなこんなで3才だった娘はもう22、あっという間に時が過ぎたのですねぇ、、 ウラシマさん



miniがうちへ来て19年、
オースチン ミニ カントリーマン Mk-1/1965年

 


ボロボロのオフホワイトの車体はまもなく
フルレストアと同時に 
ジャーマンブラウンに塗り替えさらに850ccのエンジンは1,340ccに変わったのです。
ガレージはカントリーマンの購入と同時期ミニサイズでかわいくできた。
収容miniでやっと2台分。
この小屋はぼくの作った模型見本で仕上った。
外観はかわいらしいけど
設備はかなりの重装備で整備工場なみ

当時県内で走るminiは非常に少なくカントリーマンはこれ1台、
miniは街中では出会うことはまれ、国道あたりでたまにすれちがうとお互いに
手を上げたりサインを送ったり、ゆびを指されるのはあたりまえってかんじ、
旅先、仙台のGSでどこの車かと聞かれ中国製と応えるとやっぱりそんな感じですねといわれたことも。

 木でできてる、自分でつくったのか、どうやって改造したかなど笑えるはなしも数多い、
大人4人が乗ってもそのつもりで乗る限り狭さは感じない、後ろのわずかといえるほどの荷室も
それぞれのドアポケットと同様みやげも置き場所にはことかかない十分な広さだ。

 子育てにはぜひ?おすすめの長〜く乗れる車だとおもう。
 現在まで大したこともなくそのまま19年になったのは事実なのだ、、、。
第一、金が掛かっていない。国産車は平気でのれるもんなのかな、、むりでしょ
製造年から40年余りは現役ってことになるのかぁ?
今時代あんまり聞かないすよね

特別気をつかってる訳でもなく 現代の車よりも 酷使していそうだ、サラリーマンの方なら
通勤往復ぐらいとプラスアルファのことかもと思うけど 毎日仕事に四六時中 走り回る、
もしも 壊れたら なんて気を使うことは全くないといってもウソでもない、といえるのも
部品に心配がないから、、この車のもので 簡単に高くもなく入手できるからかも

部品の点では英国車は絶品  10年持ち続けたら 税金がただになるお国柄故に部品は供給し続けなければならないという、、部品捜しが困難になる日本とは逆だ
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